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このページでは、麦生集落の行事を紹介しています。

伝統 ◆神社の祭日、お寺の法要、暮らしの年中行事

集落の人々は古来より、屋久島の大自然に畏敬の念をもち、目に見えない神様や仏様、ご先祖様を大切にし、節目には祭を行ってきました。祭の中にはすでに行われなくなっているものもあります。
(参考:屋久町郷土誌)

神社の祭・神事

神社の祭については、近年まで集落として執行してきましたが、現在は「神社護神会」をつくり、会員の方々で進めています。麦生集落には里に三社の神社と、山腹に四ヶ所の山神様の石塔があります。
◆弓矢八幡神社…社殿があるのはここだけです。
◆大山神社…「森の神社」と呼んでいます。 小祠(ほこら)
◆正八幡神社…「むかいの神社」と呼んでいます。 小祠(ほこら)
◆山神様の石塔… 高平岳、俵石岳、中足、山口の四ヶ所

弓矢八幡神社(ゆみやはちまんじんじゃ)の祭

弓矢八幡神社正面

【御祭神】 応神天皇
【由来】 320年余り前の1686年(貞享3年)以降、佐土原藩士、大山仲佐衛門が屋敷神として祭ったのが始まりです。
【祭日】
 11月3日…弓矢八幡神社大祭
 2月17日…春季祈念大祭

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大山神社(おおやまじんじゃ)の祭

大山神社の祠(ほこら)

【御祭神】 不明
【由来】 不明 
【祭日】 旧暦6月15日…大山神社祭

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正八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)の祭

正八幡神社の祠(ほこら)

【御祭神】 不明
【由来】 不明
【祭日】 旧暦8月10日…正八幡神社祭

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防風祈願祭 ・ 勤労感謝祭

あじさいが咲くころの弓矢八幡神社

弓矢八幡神社において、集落の人々が、台風の被害がないよう祈願したり、日頃の勤労に感謝して玉串奉奠(ほうてん)します。
【祭日】
 9月1日…防風祈願祭
 11月23日…勤労感謝祭

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山神様の祭

山神様の石塔

【祭日】 写真の石塔は、岳参りの登拝道入り口にあり、岳参りする人が拝んでいたものです。岳参りの行事そのものが行われなくなって以来も、山口の神様の祭りは、旧暦1月、5月、9月の16日に行ってきました。現在は集落役員により年2回参拝されています。

岳参り(たけまいり)

奥岳(宮之浦岳)に続く登拝道
今も石畳が残る(麦生内)

屋久島には標高千メートルを超える山が40座あります。その中でも、島の中央部に位置する宮之浦岳(1936m)、永田岳(1886m)、栗生岳(1867m)を「三岳(みたけ)」と呼び、さらに最高峰の宮之浦岳を「御岳(おたけ)」と言って、昔から島の人は、里から見えないそれら奥の山々(奥岳)を神様の世界として信仰の対象としてきました。


麦生集落では、旧暦4月3日、8月3日、11月24日に集落の代表者が奥岳に登拝する行事を行ってきましたが、60年ほど前から詣でることはなくなりました。その後しばらくは、岳参りの登山道入り口(山口と呼ぶ)の「山口の神様」に詣でていました。
昔、島の各集落では奥岳に登拝する岳参りが行われていましたが、現在も行っている集落はごくわずかになりました。また、行っていても奥岳まで行かず、里から見える前岳に日帰り登拝する形になっているようです。

山神様の石塔のひとつがある高平岳


行事が行われていたころの岳参りは、3日がかりだったそうです。麦生集落からは、高平岳―トイモ岳―太忠岳―石塚山―花之江河―宮之浦岳 を結んだルートが岳参りの道だったようです。詣でた人が下山すると集落の人はご馳走を用意して迎え、代表として登拝した人は山からシャクナゲや榊などの枝をもってきて配ったそうです。

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お寺の法要

麦生集落にはお寺が一箇寺あります。常駐されている住職はおられません。法要は信徒会の人々で準備され、他の集落より御住職が来られます。法要には一般の人も参加できます。

本慶寺(ほんけいじ)の法要

本慶寺

【宗派】 法華宗 開祖日蓮上人
【由来】 天保(1830~1843)には、麦生に本慶寺があったようです。
【法要日】
1月1日…元旦法要
3月21日…彼岸の法要
8月13日…セガキの法要
9月23日…彼岸の法要
旧暦10月12日13日…オーコの法要=オーコは「御講」のことで、日蓮上人の命日に当たる日この日、供養行事が行われます。供物や供花が見事です。 

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年中行事 (鬼火焚き、二十三夜、十五夜綱引など)

正月の準備に始まり、季節ごとに大小さまざまな行事が伝承されています。すでに行われなくなっている行事も多くあります。現在行われている行事の主なものを取り上げました。

正月

公民館の正月飾り

門松には、松、竹、ユズリハを使います。これにシイノキを足すこともあります。門松の足元はシイノキやマテバシイを割り木状にして左右5本ずつ組んでしばります。
門松の間に注連縄(しめなわ)を張り、中央にダイダイ、松の小枝、ユズリバの小枝、ウラジロを結び付けます。注連縄は、家の中に入ってはならない無縁仏やあの世の餓鬼に、ここから先は入ってはいけないよ、との危険信号であり、ダイダイはそれらの者にやる食料だそうです。

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鬼火焚き(おにびたき) 七草祝い 1月7日

火が放たれた鬼火

毎年1月7日の昼下がりに、集落の広場で行われます。鬼火焚きは集落の皆で大きな火を焚いて、鬼を村から追い払う行事です。大晦日からそれぞれの家庭にご先祖様を招いて正月一週間を過ごしていましたが、そのとき一緒にやってきた悪霊は家の門松のところでシャットアウトしていたけれど、まだ村のどこかにひそんでいるかもしれないから、きれいに追い払おうという意味があるそうです。
同じ日、数え年で7歳になった子供を祝う行事が公民館で行われます。その子供たちは、鬼火に火を放つ役をします。

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十日恵比寿(とおかえびす) 1月10日

海を見ている恵比寿様

麦生港を見下ろしている恵比寿様の前で、これまでの恵みとご加護に感謝し、これからの海上安全、豊漁を祈願する祭です。昔カツオ漁やトビウオ漁が盛んだったころは、宮司さんも頼んで浦祭りの神事をしていたそうですが、現在は、主に船を持っている人と集落役員で執り行われています。

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二十三夜祭 1月中にくる旧暦の23日(本来は旧暦1月23日)

御餅の数に決まり事があります

月待ち、日待ちの行事です。祭の目的は、集落の悪魔、災厄を追い払い、皆が無事であるようにと、太陽と月に祈願することです。当日、集落の人たちの代表者(拝みあげの人)二人は、日の入り、月の出、翌朝の日の出の3回、月と太陽を拝み、仏前で灯火線香を絶やさず座り通しで祈願します。昔は徹夜の行事でしたが、現在は、深夜の月の出のあと一旦帰宅し、翌朝の日の出前に集まっています。「信心深い人たちの偉大な行事」と郷土誌には書かれています。

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ナギナタ踊り(盆踊り) 8月15日

行事の最後は村の中で踊ります

屋久島の盆踊りは各集落ごとに、歌詞、メロディ、踊り方、踊る場所などが違っています。今では伝承されていない集落も多いですが、麦生は民芸保存会の人たちにより受け継がれています。盆踊り、と呼ばずに、演目の一つからとって「ナギナタ踊り」と言っています。麦生の盆踊りは300年余り前より伝承されており、町指定無形民俗文化財です。

ナギナタ踊りは、お盆13日にご先祖様をお迎えし、15日にご先祖様をお送りするために踊られます。麦生では、13日の夕方に寺、村の中で踊り、15日朝は、神社、寺、海岸で、夕方に墓地、村の中で踊りが奉納されます。手踊り、棒踊り、ナギナタ踊りの3種類に歌は6種類あります。

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十五夜綱引き 旧暦8月15日

綱作りのようす

今も多くの集落において伝承されている行事です。屋久島の綱引きは西南日本の綱引民俗の中でもきわだって盛んだそうです。十五夜当日、綱の材料集めから始まり、数時間かけて綱を作り、その綱を月に供えておきます。日が沈み、月の出を迎えると満月を拝み、綱引歌を歌い、綱引をします。綱引のあとは綱で土俵を作り相撲をとります。
行事の意義は、収穫感謝祭、と、月祭りにあるそうです。

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夜ごもり  旧暦9月29日と旧暦10月29日

神様を出雲にお送りする団員

旧暦9月は、神様が出雲の国にいかれるので、その出発を祝い、弓矢八幡神社で留守中の無事を祈願します。結婚適齢期の若者がお願いすると縁組が叶うといわれています。その後お寺を借りて青年団と集落役員が集まり祝宴をあげます。一ヵ月後の10月には、出雲から神様が帰ってこられるので青年団員が神社にお参りし、そのあとお寺を借りて宴会をします。
昔は夜通し集ったそうですが、夜中12時くらいにお開きになっています。昼間は勤めている青年団員も多いので、この「夜ごもり」の行事は参加しやすく、団員のコミュニケーションの場となっています。

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娯楽 ◆住民同士の懇親を深める行事 運動会など

幼子もお年よりも皆で楽しみます

夏祭り、運動会、大祭、の年3回、集落の人々が老若男女寄って楽しみます。準備から後片付けまで集落の人々でします。

集落夏祭り 8月13日

ゆったりと夏祭り

お盆にあわせて開催されます。島の外にいる娘や息子たちが家族で里帰りしているときです。お孫さんやお嫁さん、お婿さん、と初めてお会いすることもあります。ビール、焼き鳥、カキ氷、おつまみ、おにぎり、などの夜店も、各団体の人が出します。

集落運動会 10月第3日曜日

楽しい運動会

集落の人たちが赤組、白組に分かれての大運動会です。園児から小中学生、青年、熟年、老年とそれぞれにふさわしい種目に参加して楽しみます。消防団、婦人会、若草会(熟年)、寿会(老人)、の団体は毎年種目を考案しての参加です。
種目のタイトルだけ見ると、いったいどんな競技かな?と想像もつかないので、当日見るのも楽しみです。種目の一番最後には、島で作られた焼酎の一気飲みリレー、があり、酒豪たちには毎年人気です。また、競技への飛び入り参加やメンバーチェンジも大目に認められ、みんなでおおらかな一日を過ごします。


競技会が第一部で、第二部は宴会です。公民館前の路上でいくつかの円陣になりビール、焼酎、おつまみで盛り上がります。子供たちもジュースと盛り合わせで円陣です。競技の最後が「焼酎一気飲み」競技だったので第二部に入るころには皆さん上機嫌です。飲めない人も雰囲気で楽しんでいます。運動会は普段は接点のない人との交流の場にもなり、毎年みなさん楽しみにしている集落上げての行事です。

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大祭(だいさい) 11月3日

余興の演目 婦人会の踊り

弓矢八幡神社の大祭の余興奉納です。大祭は、昭和54年までは旧暦9月23日に行っていましたが、翌年から、子供たちに郷土の思い出を残そうと、子供も参加させ、村中総親和を合言葉に11月3日に変更されました。当日の余興は、婦人会、青年団、若草会、寿会、子ども会、と各団体がそれぞれ趣向を凝らした出し物を演じます。会場が大いに盛り上がる楽しい一日です。

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奉仕 ◆集落をきれいに 草刈などの奉仕作業

村民総出の一斉作業

屋久島の草木は成長の勢いが強く、放置するとあっという間に道が見えなくなり、車も通りにくくなります。夏前に一斉に草刈りをしてきれいにします。一斉作業の前までに自宅や所有農地の周りは草刈をすませおくようにしています。この一斉作業のほかにも、神社の祭など行事がある前日くらいに、神社、お寺の清掃、があります。たいてい早朝6時より行われます。また、老人会が社会奉仕作業として道路のゴミ拾いや集落花壇の手入れをしています。

農道伐り払い奉仕作業 6月中旬

グラウンドの草刈も総出で

毎年初夏に、集落内の農道路肩や共有地の草刈りを村民総出で一斉に行います。高齢者世帯をのぞき各世帯より人を出します。エンジン草払い機を持っている人も多く、鎌など手作業の方と一緒に班分けをし、担当箇所を割り振ります。午前、午後のほぼ一日の仕事となり、夕方からは公民館で慰労会が開かれます。

電気柵周り伐り払い奉仕作業 11月上旬

藪に埋もれた電気柵の草払い

毎年11月に、猿鹿よけ電気柵の周りを草払いします。果樹園の周りには猿鹿よけの電気柵が張り巡らされています。ここに草木が生い茂ってくると猿よけの効果がなくなるため、集落総出で刈り払い作業をします。2011年11月6日、日曜日朝8時半には41名の人が公民館前に集まり、数箇所に分かれて昼まで作業しました。

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麦生集落の紹介

麦生集落の行事

麦生集落の産業、フルーツ産地直送

麦生集落の人々

屋久島町むぎお集落の自然

屋久島町むぎお集落の観光案内、宿泊

屋久島町むぎお集落への移住情報

写真のページ

屋久島の地図、麦生の位置

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『行事』のページ 終わり
『行事』写真のページは、神社お寺の行事年中行事(鬼火焚きなど)娯楽行事奉仕作業、があります。